2010/3/1

番外編:バンクーバー五輪にみた”3:1の法則(1)

 2010年2月、バンクーバーで開催された冬季オリンピックに、日本電産サンキョー・スケート部のメンタルコーチとして参加しました。心理学の研究者としてオリンピックの現場に立てたことで、たくさんのことを学ぶことができました。メンタルコーチの職業倫理として、公開してはいけないことが多くあります。したがってこのブログでは、一人の心理学者として私自身が感じたことを書かせていただきます。

 オリンピックは世界のアスリートにとって聖地です。すさまじいプレッシャーがアスリートはもちろん、コーチや監督にもかかってきます。メンタルコーチといえども例外ではなく、2006年のトリノ・オリンピックが終わってから、慢性的と言えるほどプレッシャーがかかっていました。とくに2009年12月末にオリンピック候補選手が決定されてからはプレッシャーがどんどん重くのしかかってきました。

 この体験からたくさんの気付きがありました。まず、プレッシャーのほとんどはオリンピックの試合そのものが作り出したものでなく、自分が作り出していることです。親しくしている人から応援をいただきますので、期待されているのだな、と感じますが、期待どおりの成績を上げなくても応援していただいた方の生活に影響を与えることはありません。ご支援いただいた日本電産グループの方々に対して、オリンピックの成績が悪いときは責任をとらねばならないというプレッシャーがありますが、自分の仕事に責任をもつことはビジネスでは当たり前のことです。オリンピックだから特別に責任の重さを感じるのは、私自身がオリンピックでの勝ち負けに特別な意味を見出しているからです。以上のことは、ストレスについて優れた業績をあげたアメリカの心理学者ラザルスも指摘していることで目新しい考えではありません。(注1)

 ストレスを引き起こすもの(ここではプレッシャー)に対する適切な評価と、その対処方法を具体的に考えることでプレッシャーは小さくなるはずですが、私の今回の体験では小さくなりませんでした。むしろ自分でどんどん大きくし、この大きくなったプレシャーを乗り越えた自分をたたえたいという気持ちがあったと思います。このようにプレッシャーにはポジティブな働きがあると実感しました。プレッシャーを楽しんでいたと格好よく表現したいのですが、実態は、胃の調子が悪くなる、肩がこるなどさんざんな状態が続きました。2つ目の気付きでは、プレッシャーの大きさを感じましたが、非常にぼんやりと感じたことです。心理学の用語では防衛機制と呼ばれるものが働いていたように思えます。プレッシャーをまともに鮮明に感じていたら、日常生活にも支障をきたしたことは間違いありません。生きていくために必要な営みに精を出しているときはオリンピックのプレッシャーは意識からは消えていました。プレッシャーは間歇泉のように、仕事が暇になったりしたときや休憩時に、こころの奥底から吹きあがってきました。おそらく意識できないこころの奥底ではずっと感じていたのだと思います。

 ここから得た学びは、多くの人がプレッシャーを感じる場面で、プレッシャーを感じない人は、ほんとうに感じないのか、それとも感じていることに気付かないかのどちらかだということです。後者の場合は、環境と自分の関係を正確に捉えていないリスクがありますので、かえって危険な状況に置かれていると考えたほうがよいでしょう。

注1:ラザルス「ストレスとコーピング」星和書店p22~29


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