2008/9/17

モチベーション(1)

年配の人なら、逆櫓(さかろ)という言葉に聞き覚えがあるかもしれません。櫓(ろ)は小船を漕ぐための道具です。オールのようなものですが、漕ぎ手はは立ったまま櫓を握り、八の字に水をこね回すように動かします。小船の後方についていて、船を前に進める働きを働きをします。もし櫓を船の前後につけますと、前だけでなく、後ろにも船をすすめることができます。後ろに進める櫓を逆櫓と言います。

1185年(文治元年)に逆櫓をめぐって源義経と梶原景時の間で論争が起きました。源氏は海上の戦闘に不慣れでしたから、梶原景時は逆櫓をつけて前後自由に舟を動かせるようにしたほうがよいと提案しました。しかし義経は「戦闘は苦しいもので、退却の準備をしておけば、兵士は苦戦になるとすぐに逃げ出す」と言って梶原景時の意見を退けました。みんなの前で恥を書かされた景時は義経を恨むようになり、義経の悪口を頼朝に吹き込み、義経の悲劇の原因を作りました。

櫓の働きはモチベーションに似ています。モチベーションは、アメリカ心理学会の定義によれば「人間や動物の行動の目的や方向性を与える起動力」とされています(注1)。ここで注意すべきは、起動力ということは、前向きの行動だけでなく、回避したり、行動を抑制することも含まれるということです。前向きに進める力と退却したり、じっと身を潜める力の両方を意味します。モチベーションには逆櫓の機能も含まれているということです。「いけいけどんどん」の義経よりも、前進後退を主張した梶原景時の論理のほうがモチベーションのたとえとしては正解です。ビジネスでも、人生でも勝ち戦だけではありません。負け戦も想定して、退却や篭城のリスクマネジメントをしておいたほうが合理的でしょう。危険を予知し、それを避けたり、備えることは理にかなったことです。アメリカの情動心理学者のキャロル・アイザードは情動は「(進化の視点から考えて)情動は新しいタイプのモチベーションを提供するために登場した」と考えています(注2)。

 心理学者のなかには「モチベーションは情動である」と言い切る人もいます。「嫌悪」や「恐怖」や「絶望」も、なんらかの行動を引き起こすモチベーションなのです。ビジネス界では、部下のやる気をもっと出させたいというニーズがありますが、その時の「やる気」はモチベーションの前進機能だけを指していることが多いようです。やる気をもっと出すというよりは、環境の激変にうまく適応するために的確なモチベーションを持つにはどうすればよいか、という表現のほうが望ましいと私は考えています。


注1"American Psychologocal Association Dictionary of Psychology" p594
The impetus(起動力や刺激) that gives purpose or direction to human or animal behavior and operates at a conscious and unconscious level.

注2 Carrol E. Izard " The Psychology of Emotions" p9
In the evolution of the human species, emotions emerged to provide new types of motivation and new action tendencies as well as a greater variety of behaviors to cope with the envioronment and life's demands.