2011/9/8
創造性開発の難しさ(2)
私は、若いころから、何度も、創造的に考えるためのワークショップに参加した体験があります。ワークショップに参加している間は、たいへん楽しく、一方的な講義形式の研修よりも、退屈せずに済みました。「すばらしいものができましたね」と仲間と喜びあい、ワークショップが終わると、仲良くなった人たちとの別れを惜しみました。しかし、ワークショップを受けて1週間もたつと、すっかりワークショップの内容も忘れてしまい、とくに創造的に考えられるようになったという実感も沸きませんでした。
ワークショップの途中、ほとんどの時間は楽しいのですが、時折、ものすごい欲求不満が起きました。「もっとゆっくり考えたい」とか、「何か違和感がある」などの気持ちが起きて、共同作業を中断したい思いにとらわれました。若い頃は、私はすごく攻撃的な人間でしたので、一人で仲間に猛烈な議論を吹っ掛けたことがたびたびありましたが、みんな迷惑そうな顔をするし、「風変わりすぎて、あなたの考えは理解できない」などと言われ、私の考えが、ワークショップの成果に取り入れられた経験があまりありません。たまに、取り入れられても、考えの一部だけをつけたしのように取り入れられるだけで、「そうじゃないだろう」とイライラしながら、チームの発表を見守っていたこともあります。講師が、「楽しくやりましょう」とか、「ほかの人の意見を批判しないでください」とたびたび、指示しますので、内心とはうらはらに、笑顔でワークショップに参加していたこともあります。
わたし自身は、正直言って、複数の人間が集まって知恵を出し合う方法は苦手です。だから、お前は創造的な仕事ができないのだと批判されそうですが、ほんとうに一人で考えるよりも、2人以上の人間が知恵を出し合ったほうが創造的に考えられるのでしょうか。もしそうだとしたら、人類の歴史では、一人の人間が考えて成し遂げた業績よりも、多数の人が知恵を出し合って成し遂げた業績のほうが創造的なものが多いことになります。しかし、人類の歴史を振り返ると、事実は反対のようです。
ニッコロ・マキアヴェリは、フィレンツェの政争に敗れ、失意のうちに、故郷の村に戻り、イタリア統一のため、君主はどう考え、行動すべきかについての本を書き始めました。こうして、政治について書かれた本のなかで、もっとも独創的だと評価される「君主論」が誕生したのです。「君主論」は伝えられるところによれば、マキアヴェリが一人で書きあげたものです。複数の人間がわいわい言いながら書きあげられたものではありません。ルーベンスの絵は、ルーベンスを中心とした工房で製作されたと言われていますが、ゴッホが、弟子たちを動員して「ひまわり」を描いたという話は聞いたことがありません。独創的な業績のすべてが、一人の頭脳から生まれたという考えも間違っているでしょう。ナポレオンの戦術は、18世紀後半のフランスの若手将校たちが議論しながら、次第に形づくられ、その研究結果をナポレオンが学び、実戦で使って成功したという説を読んだことがあります。
一人で考える方がよいのか、みんなで考えるほうがよいのか、という疑問に対して、私は、両方とも正しいと考えています。その理由の一つは、一人で考えるほうが向いているテーマと、複数の人間で考えるほうが向いているテーマがあるからだと思います。もう一つの理由は、一人で考える方がむいている人と、みんなといっしょに考えることにむいている人がいるからだと思います。そのことについて次回に考えてみましょう。