2013/4/29ソチで感じたこと(2)


 選手団が宿泊したホテルは、試合会場とソチ市街の間にありました。写真はホテルの部屋から、黒海の風景です。

しかし、ホテルから黒海の海岸に出ることができません!ホテルと海岸の間に鉄道の線路が走っているのですが、線路に踏み切りも、地下道もないために、海岸に出ることができないのです。ロシアの人々は海岸なんかに興味がないのかと思ったのですが、どうもそうではなさそうです。私と同僚の小澤コーチとホテル周辺を歩いていると、ロシア人らしい旅行者から、海岸に出る道を聞かれたことがありました。彼らは車で海岸にでようと道を探しているようでした。もっと遠くまで歩けば、海岸に行ける道があったのかもしれませんが、ホテルの敷地を一歩でると、半分崩れかかった建物が並ぶ、人通りの少ない路地ばかりです。おまけに野犬がうろうろしています。選手団は、「野犬が多く、日本からの記者がかまれたので、ホテルの敷地から外に出るときは要注意」と警告を受けていました。狂犬病のリスクもあります。ソチはロシアの代表的な保養地と聞いていましたので、私はヨーロッパの保養地を想像して、ソチ滞在を楽しみにしていました。しかし、野犬と廃墟のような家並みに囲まれ、工事の粉じんが舞い上がる大気ですっかり参ってしまいました。

 なぜ、保養地なのに、海岸に出る道がないのか?という疑問は解けないままなのですが、ソビエト連邦時代の計画経済が原因の一つではないかと疑っています。黒海沿岸を走る鉄道がいつ建設されたのかは不明ですが、鉄道を建設するとき、鉄道以外の要素を考えずに設計したのではないでしょうか?いまどきのビジネス用語でいえば、プロダクトアウト(作り手が作りたいものをつくるなど、作り手優先の考え)の発想だけで、マーケットイン(顧客がほしいものをつくる)の発想が皆無だった、と思われます。

 私の推測を裏付ける根拠がもう一つあります。中央分離帯です。ホテルの敷地は、南側は鉄道の線路と海、北側に幹線道路に挟まれた長細い形状をしています。この幹線道路に中央分離帯が延々と続いていて、切れ目がありません。ロシアでは、車は右側通行ですので、右折はできても、左折はできません。試合場からホテルに戻る時、ホテルは道路の左側にあります。ホテルを左にみながら、Uターンできる地点まで10分くらいバスを走らせなければなりません。その幹線道路を歩いて向かい側に渡ることもできません。中央分離帯に金網の高い柵があり、よじ登ることが困難です。あくまで想像ですが、ひたすら道路を建設し、道路沿いに住む住民の便宜は一切考えなかったのではないでしょうか。道路の向こう側に住む住民とは行き来することはできません。江戸時代、一向一揆をおそれた加賀の前田藩が、農民が集まって生活しないように、農家を一戸一戸離して住まわせた(散村と呼ばれます)事例とよく似ています。ソビエト連邦は民主主義国家ではなかったので、もしかしたら地域住民の相互の交流は望ましくないと考えたのかもしれません。
もう少しきちんと現地の人たちに事情を聞けば、想像ではなく、事実に近い情報を提供できたはずなのですが、英語を話せる人がとても少なく、情報収集ができませんでした。