2020/3/31
<緊急寄稿>パンデミックの日々をどう過ごせばよいのか?
~コロナウィルス感染に対するマインドセットを考える~
<この文章の目的>
最初にお断りしなければならないことがあります。この文章を読めば、コロナウイルスに感染しない心理的な方法や、感染したとき早く回復する「こころの持ち方」がわかることはありません。そのような心理的な処方箋は、この世にまだ存在しないはずです。急速に感染症が世界に広がり、私たちの身近に迫っている「パンデミックの日々」を、どのように過ごせば、パニックに陥らず、冷静に生活できるかについて、心理学の視点で説明することが、この文章の目的です。
パンデミックの日々の過ごし方について書かれた文献はたくさんあります。30年にわたって心理学を勉強し、カウンセリングやコーチングをしてきた知見をもとに、これは役に立つと思われるものを選び、それをもとにコロナウィルス感染に対するマインドセット(心構え)を提案させていただきます。私はInstitute of Coaching協会(ハーバード大学のメディカルスクールやマクリーン病院と提携している協会です)の会員です。先日、送られてきたレポートで、とてもよい記事を見つけました。コロナウィルスが猛威を振るう毎日にあって、冷静に落ち着いて過ごすためには、心理的に3つのCが必要であるとこの記事で書かれています。
3つのCとは、Courage(勇気)、Compassion(思いやり)、Community(社会的なつながり)です。これらの3つのCについて、私自身の経験を踏まえて、ご説明します。
<3つのCを考える その1 勇気について>
この場合の勇気は、コロナウイルスに戦いを挑み、打ち勝とうとする向こう見ずな勇気ではありません。コロナウイルスが世界に拡散している事実を受け入れ、正体のわからない気味が悪い病原体を怖れている自分の心を直視する勇気です。ワクチンや新薬を開発する人や医師や看護師であれば、コロナウィルスに戦いを挑む勇気は必要でしょう。そのような人たちは、医学の知識もあり、戦うスキルもありますから、その戦いは無謀ではありません。
しかし、私たち一般の人間は、そのような知識もスキルもありませんので、向こう見ずな戦いになります。ギリシャの哲学者アリストテレスは、本当の勇気は、向こう見ずと、臆病の間にあると考えました。私たちが、明日もどうなるかわからない不確実な状態に不安を感じ、感染し、死ぬかもしれない恐怖しているこころの状態を受け入れ、そのなかで自分ができるベストの選択肢を選ぶ勇気を持つことが、今、求められています。IOCの創立者の一人、スーザン・ディビッドは、彼女の著書のなかで、次のように書いています。
「怖いもの知らずになるという考えを捨て、自分の価値観を案内役に恐怖のなかへ正面から踏み込み、本当に大切なものへと近づく。勇気は恐怖がないことではない。勇気は恐怖のなかを歩くことである」
私はこれまで、優れた経営者やアスリートのコーチングをしてきました。彼らの多くは現実を直視し、自分のネガティブな感情を受け入れ、それをうまく使って、効果的な意思決定ができる人でした。むやみにポジティブな言動をとる人はいないです。ものごとを冷静に観察し、慎重に選択肢を検討して、果断に決断をする人達でした。パンデミックな日々にあって、コロナウィルスが本当に怖いと感じるがゆえに、冷静に状況を観察し、専門家の知見に基づいた科学的な予防方法からベストを思う選択肢をとる人のほうが、うまく切り抜ける確率は高いと思います。
<3つのCを考える その2 思いやりについて>
2種類の思いやりがあります。他人に対しても思いやりと、自分に対しての思いやりです。自分に対する思いやりは、「セルフ・コンパッション」と呼ばれ、最近、心理学やビジネスで注目される考え方です。セルフ・コンパッション研究の第一人者であるクリスティン・ネフは、セルフ・コンパッションを「苦境に陥っている親友に対して接するように、自分に対して思いやりを示すこと」と定義しています。コロナウィルスの感染が広がるに比例して個人の行動は制限され、思うように行動することはできなくなっています。ビジネスに関しても、キャンセルが多くなり、商談はストップする頻度が増しています。そういう苦しい状況が続き、気持ちがどんどん落ち込みます。
人間は、ものごとがうまくいかなくなると自分を責めがちになります。たとえば、「なんて自分は運が悪いのだ」とか、「あのときマスクを買っておけばよかった」とか、「子どもが家のなかで暴れるのは、自分が親としてきちんとしつけをしていないからだ」などと自分を責めます。
私は高校野球のメンタルコーチをしていますが、ピンチになって崩れる投手は、自分を責める傾向が強いです。「ピンチでも、マウンドを死守しようと頑張っている自分は、いい投手に成長してきたな」と自分を褒める投手は、粘り強く投球を続け、最少得点でピンチを切り抜けます。苦しいときこそ、自分を責めず、「よく頑張っているな」と自分に応援エールを送り続けていただきたいです。
「セルフ・コンパッションが強い人は、自分に甘い人だ」と考える人もいますが、その心配は無用です。自分に甘い人は、ものごとが順調に進んでいるときは調子がよいのですが、苦境になると、自分の責任を放り投げて逃げ出します。セルフ・コンパッションは、苦しい状況で、その状況に耐え抜いている自分へ思いやりを示し、最後まで頑張ろうとする心理ですので、決して自分を甘やかすことにはなりません。
苦しい時こそ、その苦しみに耐えているご自分を褒めてください。セルフ・コンパッションがある人は、つらい気持ちをよく味わっていますので、他人に対しても思いやりを示すという研究結果があります。そして、他人に対して思いやりに満ちたサポートをして、感謝をしてもらうことが、もっとも効果的なストレス対処法でもあります。
<3つのCについて考える その3 社会的なつながりについて>
人間が健康に、元気に生活をするための必須の条件の一つに、人と人とのつながりがあります。臨床心理学の分野で優れた業績を挙げた河合隼雄は「そもそも人間は誰かに依存せずに生きてゆくことなどできないのだ。自立ということは、依存を排除することではなく、必要な依存を排除することではなく、必要な依存を受けいれ、自分がどれほど依存しているかを自覚し、感謝していることではなかろうか」と、その著書に書いています。
私自身のカウンセリング体験でも、家族関係が悪化した人や、職場で孤立している人は、心の病からなかなか立ち直れないケースが多いです。Communityという概念は文化によって違います。日本だと、家族のつながり、職場仲間のつながり、友人とのつながりも含めた「社会とのつながり」と考えたほうがよいと思います。また西欧社会と比較して、自我が弱いですから、河合隼雄は「つながり」ではなく、あえて「依存」という言葉を使ったと思われます。
このような困難な時期だからこそ、孤立を避け、インターネット、電話、手紙などの通信手段を使って、「苦しさ」を共有していただきたいです。自分だけが苦しい思いをしているのではない、という意識はセルフ・コンパッションの構成要素の一つで、「共通の人間性」と呼ばれるもので、セルフ・コンパッションを強化することに役立ちます。またベトナム戦争のとき、ベトナム軍の捕虜となったアメリカ軍人を対象とした研究でも、拷問に耐え、苦しい捕虜生活を乗り越えて、無事に母国に帰還できたアメリカ軍人は、常に母国で暮らす家族に思いをはせ、「自分は一人ではない」と自分に言い聞かせたとされています。
3つのCを心の片隅においていただき、苦難の日々を無事乗り越えられることを祈りつつ、筆をおきます。
参考文献
- Jeff Hull (2020) “IOC April Coaching Report” Institute of Coaching
- アリストテレス著、朴一功訳(2002)『ニコマコス倫理学』京都大学学術出版会
- スーザン・デイビッド著、須川綾子訳(2018)『EA ハーバード流こころのマネジメント・・・予測不能の人生を思い通りに生きる方法』ダイヤモンド社
- クリスティン・ネフ&クリストファー・カーマー著、冨田拓郎監訳(2019)『マインドフル・セルフ・コンパッション ワークブック 自分を受け入れ、しなやかに生きるためのガイド』聖和書店
- ハンス・セリエ著、杉靖三郎ら訳(2006)『現代社会とストレス』法政大学出版局
- 河合隼雄(2012)『こころの処方箋』新潮社
- Nancy Sherman(2005)”Stoic Warriors The Ancient Philosophy Behind The Military Mind” Oxford University Press