2013/2/4体罰の教育効果について


 大阪の学校で、教師の体罰によって生徒が自殺をするという事件が起きました。「体罰は絶対に許されない」ことは、ずいぶん前から、大学の教育学部でも教えられてきましたし、教育関連の本でも、さまざまなメディアでも主張されてきました、にも関わらず、教育の現場では、黙認の形で体罰は行われてきました。教育現場での体罰の歴史は、相当古く、根深いものがあります。何らかの教育効果があると認める人たちがいたからこそ、延々と続けられてきたと考えるべきでしょう。誤解のないように、一言お断りしますが、私は体罰には反対の立場をとっています。しかし、教育現場の実態を知らない方が、きちんとした根拠もなく、「体罰をするような教師は厳重に罰せられるべきだ」的な論調では、体罰を根本的になくすことにならないでしょう。一方的な体罰厳禁方針をとっても、体罰は形をかえて、より陰湿な形をとって、生徒たちの自律的な成長機会を奪い続けるでしょう。

40年前、私は小さな塾を営んでいました。その当時は、私は体罰肯定論者でした。言うことをきかない生徒に、情け容赦なく体罰を与えていました。その結果、塾内は秩序が保たれていました。ある日、番長とみんなから恐れられていた少年が「先生は自分の子どもを殴ることがあるか?」と質問しました。私は生涯に一度だけ、娘を平手うちでたたいたことがあります。それで、「1回だけ殴ったことがある」と答えました。その少年は、普段のこわもての表情とはうってかわり、悲しく寂しそうな顔をして、「1回だけか・・。殴っても子どもの心を傷つけるだけやからな・・」とポツンと言いました。

その言葉を聞いた瞬間から、私は体罰をやめました。彼の言ったとおりで、体罰は確実に子どもの心を傷つけます。体罰を中止した私の塾は、教室内の秩序を保つことが難しくなりました。そのためか、塾の評判は落ちました。当時は、体罰に代わる、教室の秩序を保つ方法を私は知らなかったのです。その後、EQ(情動的知能)に出会い、体罰を使わないで、教室内の秩序を保つスキルを身につけることができました。体罰は、生徒たちに恐怖心を与えることで、表面的ですが、教室内の秩序を保つための強制力は確かにあります。クラブ活動でも事情は同じです。しかし、長期的には、生徒間のいじめを助長したりして、体罰は教師と生徒の間の信頼関係を壊す働きをするようになります。

体罰を与えていた教師は、過去の私と同様に、体罰に代わる教室やクラブの秩序を保つスキルを身につけていないのではないかと推測しています。地域社会が崩壊した学校での、教室運営の大変さは想像を絶するものがあります。そのなかで懸命の努力を続ける先生方に対して、効果的なサポート体制やスキルトレーニング体制を構築しないと、学級が次々と崩壊し、燃え尽き症候群の先生はますます増えていくでしょう。

私が平手で叩いた私の娘は、3人の子どもの母親になっています。娘に私が体罰を与えたことを覚えているかどうか、聞いたことはありません。しかし、娘を叩いたときの、私の手の痛みが、ときおり、なまなましくよみがえり、私を苦しめます。父親として、あのような暴力的な行動をしたことを恥ずかしく思っています。体罰は、暴力をふるった人間の心も傷つけると思います。