2009/1/1

モチベーション(7)

 促進情動、抑制または回避情動、攻撃情動、中立的な情動の4つの情動をどのように使いわければよいのか、を考える前に、使い分ければビジネスの成果がほんとうにあがるのかという問題を考えてみましょう。

 使い分けるためには、使い分けるスキルが必要ですし、使い分けるための目的と、それを達成する意図がなければなりません。スキル、目的、意図と3つの言葉を並べますと、意図的に巧みなテクニックで、部下や同僚を操作するという印象を受ける人が多いのではないでしょうか。「小手先のスキルで人を操作などできない」とか、「リーダーは誠意をもって部下に接するべきだ」など、反対意見を述べる人が現れそうです。「誠意」か「スキル」の二者択一的な議論は不毛だと思います。折衷的な意見かもしれませんが、私は「誠意」も「スキル」も必要だと考えています。人間のコミュニケーション能力には限りがあって、いくら誠意をもっていても、それを表現するスキルが伴わないと伝わりません。恋愛をした人なら賛同していただけると思いますが、恋愛は目的をもって意図的に相手に接近し、「あなたを愛している」と表現するプロセスは避けて通れません。恋愛で多少のテクニックを使っても、操作的とか、作為的であると非難されることはあまりありません。(ドン・ファンが無垢な女性をだますときは非難されますが)なぜビジネスでは、「リーダーシップを発揮するためには、コミュニケーション・スキルが必要だ」といったとたん、胡散臭い目で見られるのでしょうか。口のうまいセールスに乗せられていんちきな商品を買わされたという実例は、昔から現代まで、いたるところで見られます。商売の話は疑ってかかったほうが安全という潜在意識を私たちは刷り込まれたのかもしれません。そういえば、西欧社会では、商業の神様はマーキュリー(ヘルメス)ですが、この神様は泥棒の神様でもあります。私は大阪に生まれ育ちましたが、「口のうまい商売人にだまされるな」と、両親から何度も注意された記憶があります。「口のうまいサラリーマンにはだまされるな」と言われませんでしたので、サラリーマンは商売人とはみなされず、「実直な勤め人」という表現で、商売人とは別の人種と考えられていたようです。言葉を変えれば、士農工商の意識がいきていて、サラリーマンは「士」、商売人は「商」とみなされたのかもしれません。今日の日本では、ビジネスパーソンはれっきとした商売人と思われていて、商売人という言葉はあまり使われなくなりました。しかし、依然として、意図的に人の気持ちを操る行為はよくないとされますし、わざとらしい表情やジェスチャーの拒否反応を示す人は多いようです。幼稚園に入った子どもが、友人を作ろうとしたら、それなりの社会的スキルが必要です。学校でも、社会でも、人間関係を構築したり、維持するためには、さまざまなコミュニケーション・スキルを使っています。それにもかかわらず、マネジメントやリーダーシップがテーマになったとたん、スキル不要論が飛び出し、熱意、情熱、夢が主役になってしまいます。
情動心理学、とくにエモーショナル・インテリジェンス研究の視点から、促進情動、抑制または回避情動、攻撃情動、中立的な情動の4つの情動を、①適切な目的と誠実な意図をもったうえ、②状況によって使い分け、③ビジネスにかかわる人々に対して効果的に表現することは重要ですし、④表現するためのスキルトレーニングは必要であると考えています。