2016/9/4
負けることは悪いことなのか?
私は学生時代から現在まで、文字通り細々と、剣道を続けてきました。これまでの勝率は1割どころか、3パーセント未満だと思います。赤字続きの家計簿を見たくない心理と同じで、私自身の勝率を正確に計算したことはありません。特に大学時代はひどくて、勝った記憶は2回だけです。 チームにとっては足を引っ張るどころか、相手チームの回し者のような存在でした。しかし、良心らしきものはありましたので、負けて自分の席へ、しおらしく、頭を垂れて、すごすごと戻って行きました。自分なりには「負けて悪いことをした」と思っていました。
心理学を学んだ人間として、当時の心境を振り返ると、自分自身で、ほんとうはわかっていないにも関わらず、わかっていると思い込んでいたことに気づきました。それが他ならぬ、「負けて悪いことをした」という心理です。そのことを考えれば考えるほど、誰に対して悪いことをしたのかが、わからなくなりました。これが刑法に触れる行為であれば、チームのみんなや家族に対して、そして何よりも殺された人や、そのご家族に対して「悪いことをした」と思うでしょう。剣道の試合で負けた場合、勝った相手に対して、手抜き試合をしたわけではありませんので、悪い事をしたという思いはおかしいでしょう。チームのみんなに対しては多少の後ろめたさはあっても、控え選手であった私が、大事な試合で使われることもなく、その勝敗はチーム全体の名誉には無関係でした。正直なところ、私が試合に負けて、 チームの みんなに迷惑をかけたという思いは、大げさすぎる感情です。それでは自分自身に対して、「負けて悪いことをした」という思いだったのでしょうか?私が負けて、私自身が損害を受けることもありません。それでは、家族に対してでしょうか?私は、学生結婚をしていましたので、負けて妻に悪いことをした、と思う可能性はあったのですが、その可能性も皆無です。なぜならば、妻は、私がからきし剣道が弱いことを知っていましたので、そもそも私が勝つことを全く期待していませんし、勝敗の行方にも無関心でした。こう考えてくると、自分が誰に対しても悪いことをしたと思うはずがないことが明確になってきました。今考えると、私の虚栄心が原因だったと思います。負けた無様な姿をみんなの前でさらしてしまったことを恥ずかしく思う気持ちを素直に認めたくなくって、「負けて悪いことをした」とかっこつけに思っていたと自省しています。
スポーツやビジネスで、失敗をしたり、競争に負けた時、「悪いことをした」思う根拠は、意外なくらい薄弱です。そのことを言いたくて、この文章を書きました。そのうえ、スポーツは、人間にとって大切なレクリエーション活動の一つですから、「 負けて悪いことをした」と思うこと自体、理屈にあわないことです。試合に負けて、あるいはビジネスが上手くいかなくって、気持ちが落ち込んでいる時、「本当に負けることは悪いことをなのか?」を考えてみてはいかがでしょう。