2016/8/3
自分で決めること
私は高校を卒業してから、自分のキャリアは自分で決めてきました。しかし、たった1回だけ、大学4年生の就職活動で、就職先を自分で決めなかったのです。他の人が決めた道を歩めば、自分よりも客観的に見ているので、よい結果になるかもしれないと思ったからです。
将棋や碁の対戦で、対戦者よりも、岡目八目で見ている観戦者が妙手を思いつくことがあります。そのことにヒントを得た一種のキャリア実験です。大学の恩師が勧める企業に就職しました。結果的には、素晴らしい上司や同僚に出会い、楽しく仕事ができました。だから、実験結果は成功じゃないかと思われるかもしれませんが、実は困った問題が起きました。この実験では、自分で選んだ場合との比較ができないのです。だから、今でも時々、『あの時、自分が選んだ企業に就職していたら、自分の人生はもっと素晴らしいものになったのではないか』という思いにとらわれることがあります。このような白昼夢のような想念にとらわれる時、『別の会社に就職したら、悲惨なことになったかもしれない』とは思えないものです。ロバート・フロストの有名な詩、the road not takenを思い出します。フロストの場合は誰も通りそうもない道を自分で選んだのですが、私は、多くの人が通る道を人に選んでもらいました。自分で選ばないと、選ばなかった道への思いが強く残り、時にはそれが後悔の念に変わることがあります。
仕事柄、就職、転職の相談に乗ることがあります。その時、相談に来られた人には、「キャリアは自分で選んでください」と繰り返しアドバイスしますし、私の考えや価値観がその人の決断に影響しないよう細心の注意を払っています。自分で選んだとき、うまくいかなかったときは、やはり後悔すると思います。(後悔しないと考える人もいますが、私の個人体験では後悔しました)しかし、自分で選ばなかったとき、うまくいっても後悔する、というのが私のささやかな実験結果です。