2013/2/13スポーツと体罰


 女子柔道の園田監督が体罰をうけた選手からの告発によって辞任に追い込まれました。大阪の事件も、舞台はバスケットボール部でした。「運動部=体育会の鉄の規律=体罰」の印象が世間でさらに広まったのではないかと危惧しています。たしかに、過去においても、運動部での体罰が原因で死亡事件が起きたことが再三ありました。しかし、運動部に所属しながら、一度も体罰を受けなかった人もたくさんいるのではないでしょうか?

 かくいう私も、高校2年生から社会人まで剣道部に所属していましたが、一度も体罰を受けたことはありませんし、体罰をクラブ内で見たこともありません。特定の運動競技で、体罰が選手を統制したり、気合を入れたりする手段として使われているのではないか、というのが私の印象です。体罰がなくとも、私が在籍した剣道部では、秩序が保たれていましたし、戦績もトップクラスでした。私は現在、スピードスケート界と高校野球界で、メンタルコーチとして仕事をしています。私の所属するチームに限っていえば、体罰はありません。

 元体罰信奉教師である私の視点から体罰をみたとき、体罰には生徒や選手に恐怖心をあたえ、指導者の指示命令を守らせるための強制力があります。動物が集団で行動するとき、集団の規律を乱すものに罰則を与える行動が見られます。企業においても、就業規則や人事考課を通して、ペナルティが課せられます。罰則なしに、秩序ある集団行動が長期にわたって可能だと考える人は、相当の理想主義者だと思います。しかし体罰は選手の気持ちを傷つけるだけでなく、一流選手への道を閉ざします。

 一流選手は、最高級の技術を0コンマ何秒の間に使えるから一流と評価されるのですが、そのようなことは意識してできるものではありません。たとえば、メジャーリーグで活躍する選手は、150キロのストレートを打たねばなりませんし、矢のような速さで飛んでくる打球を処理しなければなりません。一流選手は反射的に高度なプレーができます。もし体罰によって、いやいや、やらされていると、表面的には監督や監督の指示通りに身体を動かしていますが、潜在意識では強い拒否反応を起こしていますので、無意識の領域まで高度な技術が刷り込まれることはありません。そのため、プレッシャーのかかった試合で、高度なプレーはできません。一流選手になりたければ、死に物狂いの努力を、自主的に、長期間続ける必要があります。体罰は選手の自主性を恐怖によって抑えますので、体罰監督のもとで、一流選手は育ちにくくなります。それゆえ、私は、体罰には、人間の尊厳を傷つける点からも、一流選手への道を閉ざす点からも反対です。

 新聞などでは、運動部で体罰事件が起きると、「強豪チームで体罰事件が起きた」と報じられるので、世間では、「強豪チームになるためには、少々の体罰も必要なのだ」と思う人もいるかもしれません。私の限られた体験ですが、体罰をまったくしない強豪チームのほうが、むしろ数が多いです。強豪チームは、インターハイや全国大会で活躍して、知名度が高いので、暴力的な事件を起こしたときは、世間の注目を浴びやすいから、私たちはなんとなく、強いチーム=体罰と思ってしまうのではないでしょうか。