2015/1/27 攻撃は最大の防御か?(1)
高校時代からいままで剣道をしていますが、いまだもって納得がいかないことがあります。地稽古(お互いが、自由に打ち合う稽古のこと)で、相手の様子をうかがって、こちらから打たないでいると、「もっと自分から打ち込め」と叱られることがあります。とくに学生時代、師範や先輩に稽古をお願いしたとき(この表現も、よく考えると不思議です。サッカーで、先輩にパスをしたとき、先輩にパスを受けていただくと表現するようなものです)、こちらから打っていかないと(つまり攻撃をしかけないと)、必ずと言ってよいほど叱られました。40歳くらいの時ですが、とてもえらい先生と言われている方と稽古をしたことがあります。受けて返す練習をしようと、先生が打ってくるところを返し技で反撃していました。稽古が終わって、道場の先輩から、「松下さん、あのような偉い先生に稽古をつけていただいているのだから、受けてばかりの稽古をしていては、先生に対して失礼だ」と注意されたことがあります。私は、『こちらは、自分なりに工夫をして、一所懸命稽古をしているのに、どうして失礼なのだろうか』と首をひねりました。野球で、相手投手が先輩だから、ボールでもなんでもバットを振らないと失礼になる、と注意されるでしょうか?相手の投球ミスを待つという戦略もあってしかるべきです。
攻撃は最大の防御なりという言葉があります。ただひたすら攻撃だけをしていれば、それが防御になっているという意味でしょう。しかし、その反対も成り立ちます。野球では、守備が堅実だと、そのこと自体が相手にプレッシャーをかけます。たとえば二遊間の守りが固ければ、そこにゴロを転がすことができなくなり、攻撃の選択肢が減ります。防御は最大の攻撃なり、ということも言えそうです。1971年、ボクシングのムハメメド・アリが、ジョージ・フォアマンを破った一戦では、アリは徹底的な防御戦法をとり、勝利を収めました。
なぜ、剣道の先輩たちは、「もっと攻めろ!」とはっぱをかけたのでしょうか?メンタルコーチとしてアスリートとともに勝負の場にいて、「もっと攻めろ!」という意味を、心理学の視点で理解できるようになりました。そのことについて次回で書かせていただきます。