2010/4/30
番外編:子どもたちを指導するときに知っていただきたいメンタル面での留意点-1
子どもたちのスポーツ競技を指導する人たちにぜひ知っておいていただきたいこころの働きがあります。情動心理学とスポーツ心理学の両面からご説明をします。
<ポジティブな情動と身体の動きを連動させること>
オリンピックでハングリー精神が大切だという話を聞かれた人は多いと思います。日本がオリンピックやワールドカップで韓国や中国に負けるのは、日本のアスリートにハングリーさが不足しているという類の論評をときどき目にします。経済的に貧しい国のアスリートはメダルをとったら、アスリート本人だけでなく、家族の人生までもがかわるくらいのインパクトがありますから、目の色を変えて試合に臨む彼らの姿を私も何回か見ました。ハングリー精神はあったほうが有利だと思いますが、経済的に豊かになった日本の若いアスリートに、昔の日本のアスリートが持っていたようなハングリー精神を期待することは難しいです。また、日本と同じよう豊かな環境で育ったアメリカ、カナダ、オランダ、ドイツのアスリートがメダルを取りますので、ハングリー精神がすべてでないこともご理解いただけるでしょう。
豊かな国のアスリートがメダルを取れるメンタル的な要因は何だろうか、という問題について考えてきました。私はアメリカのアスリートの多くがオリンピックの大舞台でのびのびプレーをするところから思いついた仮説があります。子どものときに受けたトレーニングに違いがあるという仮説です。私は10年ほど前、EQ教育について学ぶために、アメリカの幼稚園や小学校をいくつか見学したことがあります。そこでスポーツや芸術活動を子どもたちにさせるとき、指導者(先生)は子どもがその活動をまず好きになるように、子どもと接していることに感銘をうけました。ほめるというよりも、好きにさせることに主眼点がおかれているのですが、日本に紹介されるときは、「ほめて育てる」というふうに誤解される傾向があります。子育ての原則はあくまで「良いことをすればほめ、悪いことをすれば叱る」ことであり、あえて誤解をおそれずに断言するならば、「ほめて育てる」という方法はないと言ってよいでしょう。伝統的なアメリカの子育ての根本には、「独立自尊と自己責任」の厳しいバックボーンがあります。そのうえで、スポーツや勉強をまず好きになるように指導者はこころを配ります。表面的には「ほめているだけ」のように見えますが、イエスとノーを自分で考えさせ、その結果には責任を負うことを子どもに求めている点を見逃してはならないと思います。
「まずスポーツが好きになる」という点に戻りましょう。なぜ初期の段階で「好きになること」に指導者は努力するのでしょうか。欧米の指導者が意識しているかどうかはわかりませんが、好きになってスポーツを楽しめるようになると、自然にポジティブな情動と筋肉や神経などの身体の動きが結び付くようになります。「楽しい」「わくわく」「面白い」などのポジティブな情動を感じると、筋肉に無駄な力が入らず、スムースに筋肉を動かすことができます。「楽しい」というポジティブな情動は心拍数を下げる働きをしますので、エネルギーの消耗が少なくなり、スムースな動きを長時間持続できるようになります。この結び付きを強固にすれば、プレッシャーがかった試合でも、のびのびとした動きができるようになります。(全員がそうなるとは限りません。個人差はあります)
日本の子どもたちを指導する多くの人たちは、子どもがミスをしたり、指導者の言うとおりの動きができないと、「おいこら、何をしているのだ」とか、「だめじゃないか。もっとよく聞いて!」など、子どもを叱ります。そういうことを繰り返すと、ネガティブな情動と身体の動きの結び付きが強くなり、プレッシャーがかかる試合では、力んでしまうことになります。教えられたことを子どもができないとき、どうすればできるようになるかを、手本をしめしつつ根気よく教えることがベストであって、叱ることは無意味な行為です。子どもたちを指導する方たちには、試合の勝ち負けにとらわれず、まず子どもがその競技が好きになることに集中していただきたいと願っています。試合の勝ち負けにこだわるのは、高校生以降でよいのではないでしょうか?