2010/8/23
番外編:子どもたちを指導するときに知っていただきたいメンタル面での留意点-4
<子どものコミュニケーション能力を伸ばす-その2>
コミュニケーション能力を伸ばすために、まず必要なのは、「自分を知る」ことです、と書きますと、「?・・・」と頭をひねる人もいるかもしれません。コミュニケーションから連想される言葉は、一般的には「話し方」や「聴き方」だと思います。しかし、話したり、聴いたりするためには、自分を知らねばなりません。
なぜ、話す、聴くために、自分を知る必要があるのでしょうか?まず、聴くことと自分を知ることの関係を考えてみましょう。人の話を聴く時、単に、その音声を物理的に耳でキャッチしているのではなく、話されている内容の意味を汲み取ろうとします。自分の脳にある言葉の辞書のようなものと、音声や表情と照らし合わせて、相手の人がしゃべっている内容を理解しようとします。理解するとき、単語の意味よりも、文脈(コンテクスト)の読みとりや、話に付随して表現される感情や話される場面などが重視されます。たとえば、「売上目標を達成することに疲れた」と相手の人が言ったとします。発言の場面が、喫茶店で雑談をしているときと、社長が出席している経営会議のなかでは、まったく意味がかわってしまします。喫茶店の雑談なら、単なる愚痴として聞き流してもよいかもしれませんが、経営会議の席上であれば、経営批判とも受け止められる重大発言です。つまり、私たちは人の話を聴く時、常に判断や解釈をしています。判断や解釈は主観的なものであり、私たち自身が持っている価値観や認知スタイルなどのフィルターを通して、程度の差はあれ、偏見を通して聴いています。それゆえ、人の話を正確に聴こうとすれば、自分がどんな価値観や信念や偏見を持っているのかを知っていて、そこから生じるゆがみを修正しながら、耳を傾けなければなりません。
次に自分の考えや、感情を相手に伝えることと、自分を知ることの関係を考えてみましょう。このことに関してすぐれた考察をした人が、ゲシュタルト療法で有名なパールズです。パールズは、私たちの心の中にある欲求と、欲求を満たすために手にいれなければならない対象との関係が明確にしたうえ、欲求を満たす行動をすることで、人間は健全に生きることができると考えました。「話す」という行為を考える時、私たちが何を伝えたいのか、伝えた結果、何を手に入れたいのかが分からないと、「話す」という行動ができません。話すためには、私たちの欲求がわからないと、話しようがありません。言葉をいかに流暢にしゃべれても、話したいことがなければ、私たちは話すことはできません。言葉がまったく通じない外国で、道に迷った時、必死の思いで助けを求めた経験のある人なら理解していただけると思いますが、ほんとうの思いを知ることのほうが、単語を覚えていることよりも、コミュニケーションでは重要です。したがって自分を知ることが、話す前提条件になるのです。
自分を知るためにもっとも効果的な方法は、自分の行動がすぐに結果としてはねかえってくることです。自分の行動が賢明であったのか、効果的であったのか、そしてその行動を他人がどう評価しているのかが、すぐに跳ね返ってくるのがスポーツです。スポーツは、瞬間、瞬間に、明確なフィードバックを受けながら、自分とは何かを追及している行動という見方も成り立ちます。一流のアスリートが、インタビューなどで、とても含蓄に富む話ができるのも、「自分を良く知っている」からだと考えられます。
※ゲシュタルト療法で有名なフレデリック・パールズの自伝「記憶のゴミ箱」