2013/7/30緊張とパフォーマンス(2)
人は人は、自分の財産や名誉、ときには生命などがかかっている試合や仕事に臨むとき、緊張するものですが、緊張して実力を発揮できなかったときと、緊張しても実力を発揮できるときがあるのはなぜでしょうか。この現象を、ラザルスや情動心理学者たちは次の図で説明をしています。
<図1>
出来事 → 情動(ここでは緊張)
図1では、大事な試合に臨むという出来事が緊張という情動を生み出すという図式です。ラザルスは図1の情動を1次情動と考えました。昔の武士が命をかけた戦いに臨むとき、緊張しない武士はいなかったと思います。しかし人間の情動はそこにとどまるものではありません。
<図2>
出来事 → 1次情動 → 解釈 → 2次情動
次に人間は、出来事や「1次情動そのもの」を解釈します。この解釈が、2次情動を生み出し、パフォーマンスに大きな影響を与えます。「緊張することがよくない」と考える選手は、緊張を感じた瞬間、「自分は緊張している。自分はメンタルが弱い。自分はだめな選手だ。このままでは試合に勝てない」と思ってしまいます。2次情報としては、恥じらいや、罪悪感、自責などが生まれます。しかし、緊張することは人として自然な反応で、緊張と試合結果には直接関係がないと信じている選手は、「緊張しているな。自分はこの試合を大切だと思っているからだ。こんな重要な試合に出場できて、自分は幸運だ」的な考えをするでしょう。2次情動としては、わくわく感や闘志などが生まれます。つまり、出来事や情動の解釈によって、2次情動が変わってしまいます。どちらの2次情動が良い結果をもたらす可能性が高いと思われますか?
まじめで、人柄がよい選手で、実力の発揮できない人が多いのは、この「解釈の仕方」に秘密があると私は考えています。試合に強い選手のなかには、誤解を恐れずに表現すれば、「とがった選手」や「問題児的な選手」をよく見かけます。監督やコーチの中には、「やんちゃな奴のほうが実戦に強い」と表現する人もいます。人のよい選手は、なぜ人がよいかといえば、自責の気持ちや、罪悪感を持つ傾向が強く、周囲の人から、「あの人はいい人だ」と評価されやすいのだと思います。やんちゃな選手に関して、「あいつは試合には強いが、人間としてもっと丸くなってくれれば」と思われるケースが多いのではないでしょうか。やんちゃな選手は、自責の念が、人の良い選手よりも少ないと私は推察しています。やんちゃな選手は緊張を感じたとき、「ああ、俺はダメな選手だ」とあまり思わないのでしょう。
私は、選手たちには「試合中は自分を責めるな」という指導をしています。しかし、ビジネスの世界では「自分を責める」とか、「罪悪感を持つ」ことは、仕事外はもちろん、仕事中であっても、ある程度必要なことです。優秀なスポーツ選手が、一般の社会人になったとき、もっとも気をつけなければならないところです。