2012/12/28「『感じが悪い人』はなぜ感じが悪いのか?」について(5)
12月は「忠臣蔵」の月でもあります。浅野内匠頭が、江戸城の松の廊下で、吉良上野介を切りつけたことが「忠臣蔵」の発端です。なぜ浅野が吉良を切りつけたのかについて、諸説紛々です。吉良に十分な賄賂を渡さなかったからとか、赤穂の塩と吉良領内の塩が競合関係にあったからとか、もっともらしい説、眉唾ものの説。歌舞伎の世界では、吉良(仮名手本忠臣蔵では高師直)が浅野(同じく塩谷判官)の妻に思いを寄せていたことが原因となっています。
いろいろな人に原因を聞いているうちに、この質問は一種の投影型の心理テストだと思うようになりました。賄賂説の人は、賄賂によって人は行動を変えることを信じている人ですから、賄賂に弱いかもしれないと思えてきます。塩の利権がらみ説を唱える人は、利権によって人は動くと信じている人ではないかと疑ってしまいます。妻に言い寄っていた説を信じている人は、人は性的本能によって突き動かされると信じる、フロイト学派かもしれません。イタリアの元首相ベルルスコーニなら何と答えるでしょうか?とても興味があります。 歴史は、歴史を語る人の品性が色濃くでると、歴史学者の上田正昭先生が講義で話されたことがあります。弓削道鏡は、孝謙女帝と性的関係にあったと主張する学者は、本人がそういう類のことが好きな人なのだと上田先生が言われた時、私は「その通りだ!」とひざを打った記憶があります。
さて、私自身は「感じの悪い人は人間関係を悪くする」と信じている人間ですから、「吉良上野介の感じが悪かった」説を信奉しています。上野介は領主をしていた吉良町では名君として尊敬する人が多いので、吉良町の方々に目には、私が「感じの悪い人」と映るでしょう。浅野内匠頭が上野介を切りつけた原因は不明です。事件現場にいた梶川頼照は内匠頭が「吉良に恨みがある」と言ったのを聞いています。その後の取り調べでも内匠頭は同じ主旨の発言をしていますので、理由は不明ですが、吉良上野介を嫌な奴と思っていたことが間違いないと思われます。
そこで推測です。吉良上野介は、感じの悪さの第六法則「社会的状況に関係なく、人間の価値はその肩書で決まると信じている人は、感じが悪い」が当てはまるような言動をしていたのではないでしょうか。吉良家は足利一門であり、江戸幕府から特別待遇を受けていたため、名門意識が高く、ついつい肩書でものを言っていた可能性があります。私が吉良上野介のコーチを務めていたとして、「肩書と人間の価値は別ですから、同じ人間として接してください」とアドバイスをしてもまったく効果はなかったと思います。なぜならば、封建的な社会では、肩書きと人間的な価値が結びついていたからです。それならば、吉良上野介のほうが社会的な振る舞いとしては正しく、身分が低いにもかかわらず、横柄な態度をとる上野介を許せないと思った浅野内匠頭の感覚のほうがおかしかったという見方もできます。もしかしたら上野介の方も、内匠頭のことを感じの悪い奴と思っていたのかもしれません。「感じの悪さ」は、社会的なコンテクストによって変わりますが、歴史的にも変わるものです。
それはともかく、師走には、師走らしい場面で締めくくりたいと思います。歌舞伎の名作「松浦の太鼓」でとても有名な場面があります。皆さまもご存知でしょう。赤穂浪士の一員であった大高源呉が吉良邸討ち入りの前日、俳句の師匠宝井其角に、大雪の両国橋で出会います。別れ際、其角が「年の瀬や水の流れと人の身は」と発句を投げかけます。討ち入りの大望を胸に秘めた源吾は「明日待たるる その宝船」と付句を返します。経済情勢が極めて厳しい歳の暮れですが、大高源呉のように、よりよい明日が来ると信じつつ、ゆく年を見送りましょう。