2018/9/1

批判することの難しさ




 ビジネス界やスポーツ界で長く仕事をしていますと、いつのまにかよく知っている人と周囲から誤解され、コメントを求められることが多くなりました。例えば、某大学の反則プレー問題や、某連盟の判定問題、某企業の不正問題などです。テレビのワイドショーなどでは、いろんな人が歯切れの良いコメントを述べていますが、私にはとてもあんなに明快にすっぱり言い切る自信はありません。すっぱり言い切れないのは、私が長年、カウンセラーやコーチの仕事をしてきたからだと思います。

 カウンセラーやコーチは、クライアントの考えや行動を、受け入れるのが仕事です。とくにカウンセリングの場合、クライアントの言動が世間の常識から外れたものであっても、受け入れて、時にはその言動の中に含まれる問題提示を肯定的に評価することもあります。例えば、子どもの万引き行為は、親に対する重要なメッセージを含んでいる時があります。某大学の反則プレーを監督が指示したとする事件にも、もしかしたら世間に知られていない重要なメッセージが隠されているかもしれません。批判するにも、擁護するにも、判断材料が少なすぎることも、何も言えない理由の一つですが、それ以上に、everyone is reasonableがわたしの職業倫理であるので、人様のことをとやかく言える立場にないと、私は考えています。

  しかし、一緒に仕事をしている人の仕事ぶりが不十分だと、顧客満足に影響しますので、その人に改善を求めなければなりません。そうなると、改善理由を相手に伝えなければならず、その段階で、批判あるいはネガティブフィードバックがメッセージに含まれます。他人を批判することは、多くの人は、仕事をしている限り避けられないでしょう。上司と部下の関係で、上司が部下の仕事ぶりを批判ばかりしたため、部下がメンタルの病気になったケースは世の中には多いです。批判することが避けられない行為であるとすれば、批判をする人も、された人も不幸にならない工夫が必要です。

 人間関係に万能薬はありませんが、万能薬に近いのが信頼です。信頼が相互にあれば、お互いがネガティブなフィードバックをしても、「批判」と受け取られず、「忠告」と受け取ってもらえます。よくお酒を飲む部下に対し、「〜さんはお酒の飲みすぎだよ」と言ったとします。上司が部下をダメな人間と常日頃思っていたら、この言葉を聞いた部下は批判と解釈するでしょう。それに対して、上司と部下の信頼関係ができていたら、部下は「自分の健康を気遣ってくれている」と解釈するでしょう。社会構築主義では、人間は事実を客観的に見るのではなく、起きたことを解釈する存在だと考えます。