2017/5/10
スルーカ(りょく)について
ローザ・パークスは、アフリカ系アメリカ人に対する人種差別に対し、静かに威厳を持って抗議し、その後の人種差別撤廃運動に影響を与えた偉大な女性です。彼女の素晴らしい言動を振り返ると、人間としてかくあるべきだと強く思い知らされます。しかし、私自身の人生は、ローザ・パークスとは程遠いどころか、正反対の加害者の立場に立ったことさえあります。
20歳代の頃、(1970年代) 、私はある企業の人事課にいて、採用の仕事を手伝っていました。その頃はインターネットもなく、応募者の大部分は企業を直接訪問して、どんな企業かを我が目で確かめていました。5月のどんよりと曇ったある日の午後、一人の女子大生が企業訪問にやって来ました。当時は、女性の採用は高校生と短大生が主で、四年制大学の女子大生を採用する企業は多くありませんでした。その理由として、四年制の大学を卒業した女性の多くは、結婚してすぐに退職するので、戦力にならないまま退職すると言われていたからです。さらに根拠があるかどうかは不明ですが、女性の大学卒業生は、プライドが高く、指示命令に従わないという風評があり、現場から敬遠されていました。訪問してきた女子大生もいろんな企業に門前払いされ、心の傷を抱いて私が勤務する会社の門をくぐったのだと今思い返すと彼女の気持ちが推察されます。若かった私は、丁重にお引き取りいただこうという心づもりで、彼女との面談を始めました。こちらの腹の中を読んで、彼女もトゲトゲしい態度を取り始め、キチンとした試験も受けさせず追い返そうとする私の姿勢に猛烈に抗議をしました。結局は喧嘩別れのような形で、彼女は去って行きました。私も、ものすごく、彼女の態度に腹が立っていて顔色が変わっていたのでしょう。自分の席に戻ってきた時、周囲の人たちがビックリしたくらいです。
今、思い返すと、あの衝突の原因は僕のそっけない態度にあったと思います。しかし、彼女のその後のキャリアは、あまりうまくいかなかったのではないかと思います。というのは、現在、女性のキャリアの障害となっている、組織の中に見えない形で存在するルールの研究から、日本の成功しているビジネスウーマンの多くは、必ずしも、あの女子大生のように、女性に対する障害や偏見に対して、いちいち、異議申し立てをしていません。「女性に対する偏見や障害に出会った時、どうされていましたか?」という質問に対して、「世の中はそんなものだと、スルーしていました」と答える人が多いのです。
ローザ・パークスのように毅然とした態度で偏見に抗議することも重要ですが、「ここは目くじら立てても仕方がない。スルーしよう」と、その場を適当に取り繕うことも、キャリアで成功するためには必要ではないでしょうか。社会生活をよりよく送るためには、どのようなことをスルーして、どのようなことに対して毅然とした態度をとるかという判断は、とても難しいです。次回は、そのことについて書きます。