2014/5/13インドにて(3)
ムンバイの公共洗濯場(ドービー・ガート)です。19世紀、イギリスが建設しました。ここでたくさんの人たちが働いています。観光名所になっています。巨大な公共の洗濯場がつくられた理由は、ムンバイの庶民の家は狭く、洗濯する場所や乾かす場所がないからだ、と聞きました。
最近は洗濯機と乾燥機を買える家では、自宅で洗濯をします。したがって、公共洗濯場は少しずつ規模が小さくなるかもしれません。しかし、ホテルなどからの洗濯の注文を受けていますので、まったくなくなることはないでしょう。日本でいえばクリーニング屋さんが一か所に集まって、いろんなところから注文をとって、洗濯をしているという感じです。注目すべきは、古着の再生もここでやっています。古着を集めて、染め変えて、再生品として出荷しています。将来は洗濯よりも、古着の再生工場として発展するのではないでしょうか?
この洗濯場で仕事をする権利があって、その権利は代々、家族に継承されます。いくつかの権利を持った家が、従業員を雇い、洗濯業を営んでいます。従業員は、貧しい農村から出稼ぎにきた人たちが多いです。朝早くから働く重労働ですが、賃金がよいので、しっかりと貯金をして、故郷に戻って家を建てたり、商売を始めたりできます。そのせいか、人びとは明るい表情で働いています。表情という点では、東京の通勤電車の人たちのほうが、ずっと暗いですし、イライラしています。
公共の洗濯場が建設された目的は、公衆衛生の問題があったのではないかと推察しています。19世紀半ばからムンバイは急速に都市化がすすみ、たくさんの人たちが住むようになります。人口増加に伴い川や海の汚染がすすみ、洗濯場に適した場所が減ってきたのだと思います。人口が増えれば伝染病の危険も増しますから、そこで洗濯場を建設して、衛生管理をやろうということになったのではないかと思います。ローマ帝国でも、貴族も庶民も、洗濯物はフッロニカとよばれる洗濯屋に出していました。(A・アンジェラ「古代ローマ人の24時間」河出文庫p102)日本の歴史で洗濯屋が登場しないのは、水が豊かで、各家で洗濯が可能だったからだと思います。