2008/10/10

モチベーション(3)

 前向きに人生を生きたほうがよいとアドバイスをしてくれる書物がよく売れています。欧米でも日本と同様にポジティブ・シンキングとか、積極果敢に行動することを薦める本が書店に並んでいます。なぜポジティブに考え、ポジティブに行動したほうがよいのでしょうか。不安、嫌悪、絶望などの感情よりも、楽しい、わくわく、希望などの感情のほうがなぜ好ましいと考えられているのでしょうか。

 その根拠の一つが心理学の研究から得られた知見です。たとえば、フリーという心理学者は、子どもたちが楽しい感情状態にあるときのほうが、不快な感情状態にあるときにくらべ、違反行為をしないという実験結果を発表しています。(注1)ビジネスの世界でも、パワハラじみた言動の上司の下で、部下たちは表面的にはおそろしい上司の命令を聞いているふりはしていますが、上司がいないところでは、モラルダウンした言動をすることが多くなります。それとは反対に、心から尊敬できる上司のもとでは、楽しい気持ちで働けますし、上司がいないところでも手を抜かずに仕事をする人が多くなります。心理学のきちんとした研究と、身の回りの出来事を結びつけ、私たちはポジティブな感情は人間にとって役立つ感情であるという印象を持ちます。(注2)

 スポーツの世界では、アスリートたちは「楽しい気持ちを持ってプレーをする」ことを教えられます。怒りや不安の感情は筋肉を過度に緊張させ、「肩に力がはいった状態」になり、自分の力を100%発揮できなくなります。私はアスリートたちのメンタルコーチをしています。スポーツの世界では、競技直前から競技が終わるまでは、どんな苦しい状況でも、戦いから逃げず、相手に向かっていく行動とそれを支える、闘うことを楽しむ感情を持ったほうが、力を発揮できると私は信じています。

 しかしスポーツの世界で正しいことが、ビジネスの世界では正しいこともあれば、正しくないこともあります。
ポジティブとか、前向きという形容詞に問題があります。私は「効果的な感情」「効果的でない感情」のほうが適切な表現だと思っています。環境の変化に適切に対応し、質の高い人生を実現できる行動を引き起こす感情が「効果的な感情」の定義です。株価はどんどん下がり、世界経済は1929年以来の大恐慌の様相を呈し始めています。このような状況で経営者にとって「効果的な感情」は、秋のよく晴れた早朝のような感情です。おそれではなく、静かな期待。怒りではなく、勝利を目指すひそやかな闘志。喜びではなく、やるべきことをやるという信念と結びついた自信。このような感情(心境)を抱けば、世界の狂騒を通して、次の時代が見えてくると思います。おそらくあと2年くらいは、無駄な経費をはぶき、経営の冬篭りをしなければならないでしょうが、冬篭りの間に、次の飛躍に備えて、何をしておくかによって、経営者の資質が問われると思います。(注3)


注1.Fry, P.S. 1975 Developmental Psychology
柏木恵子「子どもの『自己』の発達」 東京大学出版会 p195

注2.フリーの実験結果とビジネスの現場でのよく似た現象を結びつけて、楽しい気持ちは、職場での違反行為を抑制し、好ましい行為を促進すると考えてよいかどうかは検討の余地があります。私はそれを仮説と考え、ビジネス現場で検証したいと考えています。おそらく相関は高くないでしょう。

注3.ジェフリー・ソネンフェルド&アンドリュー・ウォード「逆境を乗り越える者」p18
逆境を乗り越えて挫折から立ち直ったリーダーの共通した能力として、「①みずからの強みと弱点を率直に評価する力、②状況を正確に分析する力 ③過去の挫折を将来につなげる力」が挙げられています。このような力は、いけいけどんどんの感情よりも、静かで、繊細な感情のほうが相性がよいと思います。