2016/9/4
処世法とスポーツの違い
林成之「〈勝負脳〉の鍛え方」に、相手の弱点を攻めて勝つことよりも、相手の強みを打ちのめして勝つことが、本当の勝利だ、と書かれています。そのことを裏付けたのは、福原愛選手が、リオ・オリンピックの個人戦で、中国の李暁霞選手に敗れた戦いです。李暁霞選手は福原選手の得意技を封じてしまい、福原選手に「もはや打つ手なし」と思わせるくらい、追い詰めていきました。ゲームの後半で、福原選手にミスが多くなったのも、「コーナーギリギリをつかない限り、相手にことごとく返される」という思いがあったからと推察しています。
野球では、強打者に対戦した投手が、ストライクゾーンギリギリを狙ってボールが増え、カウントを整えるために球を置きに行き、決勝打を打たれるのも同じ現象です。そいうときは、例外がないと言ってよいくらい、選手の腕が縮んでいます。
実力に差があったとき、強者の戦術は相手の得意技を打ち砕くことでしょう。弱者の戦術は、迷いをなくし、相手の猛攻を耐え忍び、試合中盤まで接戦に持ち込み、強敵が焦ってミスを犯すのを待つという戦術でしょうか。しかし、勝負の世界は厳しくて、実力差をひっくり返すことは至難の技で、大抵は玉砕して終わりです。
スポーツでは、対戦相手が強敵で、百に一つも勝てそうになくても、試合から逃げ出すわけにはいきません。ここがスポーツと実社会との違いです。ビジネスや実生活では、三十六計逃げるに如かず、です。アスリートのメンタルコーチをしていて、実社会で応用できる知恵をたくさん習得で出来ますが、圧倒的に強い相手との戦い方に関しては、スポーツから学べる人は相当に優秀な人です。私は昔、居合に熱中したことがあります。居合の先生から、「強敵と戦うときは、相手が油断している時を狙って、多数で襲いかかって倒すものだ」と教えられたことがあります。幕末の動乱期に、腕に覚えがあった芹沢鴨や、伊東甲子太郎などが惨殺されたのも、複数の刺客が同時に斬りかかったからです。まさしく居合の先生の言葉通りです。
彼らと同時代の傑出した剣客の1人であった桂小五郎(後の木戸孝允)は「逃げの小五郎」と言われていました。彼は斬り合いが起きそうになれば、サッサと逃げていました。頭のよい人だったので、いくら自分が強くても多数に飛びかかられては敵わないことを、剣術の応用問題として学んでいたのかもしれません。本当の達人というものは桂小五郎のような人なのでしょう。