2013/8/19なぜ高校球児たちは全力疾走するのか
            ~高校野球とベースボール(1)~


 日本の高校野球と、アメリカのベースボールは、似て非なるものと感じています。
高校野球のメンタルコーチとして5年以上グラウンドで選手たちや監督と一喜一憂してきました。メンタルコーチとして、当然ながら、野球関連のメンタルコーチングの本を読みますが、アメリカの文献を読めば読むほど、日本の高校野球はアメリカのベースボールと違う、という思いが強くなってきました。

 その違いを生んだ要因のなかで、最大のものは、総当たり戦と勝ち抜き戦との違いです。私たちの多くが知っているアメリカの野球(日本のプロ野球もおなじですが)はメジャー・リーグであり、ワールドシリーズなどの試合をのぞき、何度も同じ相手と対戦する総当たり戦で戦われます。1回負ければそこでおしまいではありません。それに対して、高校野球は中世の騎士の槍試合と同じトーナメント形式で、1回負ければ、敗者復活戦のある秋の地方予選以外は、再挑戦の機会はめぐってきません。高校野球の球児たちが目指している夏の甲子園大会は、非情なまでの勝ち抜き戦です。負けたチームの3年生は、その試合が、高校での事実上の引退試合になります。「負けたらおしまい」という緊張感は、当事者と経験者にしかわからない、すさまじいものです。

 高校野球とアメリカのベースボールの違いをいくつかあげてみましょう。ベースボールには敗戦処理投手という役割があります。点差が開き、逆転の可能性が乏しいと判断しますと、長いリーグ戦を戦わねばならない監督は、第一線の投手をひっこめて、見習いクラスの投手か、引退寸前の投手を、登板させます。高校野球の公式戦には敗戦処理投手という機能はありません。負けたらおしまいですし、5点差くらいなら簡単にひっくり返るのが高校野球です。どんなに点差が開いていても、守備側は1点でもとられまいとしますし、攻撃側は1点でも多く取ろうします。したがって点差が開いていても登板する投手は必死です。点差があってエースを温存したいときは、エースをほかの守備位置に着かせ、いつでも再登板できるようにします。

 データー野球という言葉が日本の野球界に定着したのは、野村克也監督あたりくらいからでしょうか。高校野球でも、最近は、データ―を重視するようになってきていますが、プロ野球ほど盛んにならないのは、勝ち抜き戦だからです。1回きりしか当たらないので、データーを集める手間がかかる割には、効果が高くないからです。したがってデーター収集をするのは、地方予選の準決勝や決勝でぶつかる可能性の高い強豪校だけが対象になります。試合に登板している投手も、捕手も、その試合で初めて対戦して、2度と対戦しない打者と戦うのが普通です。何度も同じ相手と戦うリーグ戦と比べてはデーターの役立ちかたが違います。高校野球では、データーよりも、直観が役立ちます。日本のプロ野球で、データー野球の導入が遅れたのは、プロ野球選手や監督の、ほぼ100%近くが、高校野球出身者だったからではないかと推測しています。