2012/4/23

アメリカ合衆国におけるキャリア開発の視察団に参加して(2)

 <リーダーシップ>

 アーカンソー大学のある町フォートスミスはとても小さな町です。アメリカ合衆国の中西部の、古き良きアメリカの雰囲気が色濃く残っています。町の人たちは、親切で、明るく、宗教心をしっかり持った人が多かったです。日曜日には教会に行く人たちが、大都会に比べて多いと聞きました。フォートスミスには、シナモンロールがおいしいと評判のレストランCalico Countryがあります。このレストランを有名にしたのがアーカンソー州の州知事からアメリカ大統領になったクリントンです。クリントンが、この店のシナモンロールが大好きで、大統領在任中も、フォートスミスにわざわざやってきて、シナモンロールを食べに立ち寄ったそうです。私も賞味しましたが、たしかにおいしかったです。


<レストランCalico Countryのシナモンロール>

 そのクリントンのことです。地元のアーカンソーではとても尊敬されています。その尊敬の源が、彼が州知事や大統領在任中に示した優れたリーダーシップです。彼は日本では不倫スキャンダルで有名ですが、アーカンソーの人であった人たちは、あまりそのことを問題にしていません。大統領としてのリーダーシップを重要視しています。


<大統領の椅子>

 アーカンソー大学でも、学生のリーダーシップ教育にとても熱心です。大学の入学要件にも、高校生でリーダーシップを発揮したことが含まれていました。アーカンソー大学の学長ポール・ベランさんは自分のゼミナールを持っています。学生に人気がありますから、彼のゼミナールに入ることは難関で、その要件にもリーダーシップが挙げられていました。優れたリーダーを育てれば、国や経済が発展すると、アメリカ社会では広く信じられていると感じました。日本では、リーダーシップの重要さを否定する人は少ないですが、小学校から大学まで、リーダーシップを養うトレーニングを実施しているところは少ないと思います。

 リーダーシップは教育や訓練で開発できるものでしょうか?カリスマ的なリーダーシップを教育で開発できると信じているアメリカ人は、少ないかもしれません。「日本人はリーダーシップを大げさに考えすぎる」と、視察団に同行した人に教えてもらいました。アメリカ人が考えるリーダーシップは、チームをまとめる役割であって、だれでもそういう役割を与えられたら、その役割をやり遂げるために努力をするのは当然だ、と思っているとのことでした。たとえば、小学生が校庭の掃除をするチームのリーダーに選ばれたら、リーダーの責任を全うするために努力をして、目標をやり遂げたら、リーダーシップがあると評価されるのだそうです。

 昔、サンフランシスコにあるヌエバという中学と高校の一貫教育をしている学校を視察したときも、リーダーシップ教育が実施されていました。学校内にさまざまなプロジェクト活動が展開していて、子どもたちは順番にプロジェクトリーダーの役割が与えられていた記憶があります。アーカンソー州でも同じような教育が実施されていました。順番にリーダーの役割がまわってくるところがミソです。いつかリーダー役をやらされますので、フォローワーの役割のとき、あまり勝手な行動をとっていると、自分がリーダーになったとき困ります。したがって、子どもたちはフォローワーシップも身につけますので、リーダーの足を引っ張らない子どもが日本よりもはるかに多いように見受けられます。

 私は昔、中学と高校でリーダーシップ教育を担当したことがありますが、リーダーの足をひっぱって、勝手な行動をとることがかっこいいことだと思っている子どもが多く、リーダーになった子どもがとても苦労をしていました。子どもたちの間では、リーダー役を買ってでるのは、目立ちたがり屋のやることだ、といった雰囲気もあり、リーダーが育ちにくい環境があります。それに反して、アメリカではリーダー役をやることがみんなの義務のような雰囲気があり、リーダー候補者がいっぱいいる感じです。今日の日本で、優れたリーダーの不在を嘆く声をよく耳にしますが、子どものときからリーダーが育つ環境をつくらねばならないと思います。