2017/8/30

欧米のメンタルvs日本の精神




 
 学生時代、大事な試合に負けると、「お前たちは、何が何でも勝とうとする気がない!」とか、「やる気はあるのか!?」などと、先輩から叱られたことが何度かあります。叱られた僕は、決して納得しているわけではなく、内心は「必死になって戦ったのに」と思っていました。やっていた競技が剣道でしたから、海外での競技経験がなく、海外のチームでも、同じような叱られかたをするのか、どうかは不明です。しかし、日本で、精神(メンタルという表現よりも、精神という語感に臨場感があるように感じています)というと、「必死」、「必勝」、「為せば成る」などの言葉で表現される空気感を醸し出していると感じるのは僕だけでしょうか?「勝つことへの執念に欠けている」と、ある競技団体の偉い人から選手が叱られている場面に、2010年以降、複数回、出会っていますし、企業研修の場でも、その種の心構えを強調する講師の話を聴いたことがありますので、「勝つ気があるのか」という叱責は死語になっていないようです。

先月、とても興味深いスポーツ心理学の研究論文を読みました。(注1)アルティメットという競技で、オーストラリアと、日本の選手のメンタルの比較をして、「競技する意欲」や「勝とうとする意欲」は日本選手の方が平均すると高い、という結果が出ていました。その反対に、精神の安定・集中、自信、作戦能力、闘争心などはオーストラリアの方が高いのです。その結果から、大事な試合で、日頃の実力を発揮できるのは、オーストラリアだろうと思いました。勝つ気ばかりが先行し、空回りしている日本選手と、冷静に相手の出方を観察し、的確な動きをする外国選手の姿が目に浮かんできます。そして敗戦に打ちひしがれた日本の選手たちに、「お前ら勝つ気あるのか」という怒声が浴びせられるのだろうなあ、と想像します。実際は、比べてみて勝つ気旺盛でなかったのは、海外選手のほうだったにもかかわらずです。


勝とうと思えば、勝つための過程があり、過程の一里塚というべきいくつかのポイントを抑えておく必要があります。ゴルフであれば、ショットを正確に打つためには、体幹のバランスが必要で、しっかりした体幹なくして、バーディのチャンスを作ることは難しいです。ビジネスならば、商品やサービスの差別化なくして、十分な利益を得ることは難しいです。そのプロセスをすっ飛ばして、精神論でなんとかしようとすれば、成功は遠ざかるばかりです。


最近、NHKで、第二次世界大戦中、日本軍が悲惨な敗北をしたインパール作戦の特集が放映されました。作戦会議で、補給ができないという理由で反対した人が、司令官から「大和魂がない」と罵倒され、反対論が言えなくなったことが紹介されていました。昔も、今も、精神論が好きな人がいるものです。私は、精神論は嫌いです。しかし、勝つための、あるいは成功するための、心理的なプロセスをきちんとたどっていく必要性があると信じています。ただし、そのたどり方は、状況や選手個人によって違うと私は考えています。そのことについて次回に説明します。

注1.瀧澤寛路・村本名史・栗田泰成・笹川 慶(2017)「アルティメット選手の心理的競技能力について 第三報 ~ウィメンオーストラリア代表選手と日本代表選手の比較~」常葉大学経営学部紀要
第4 巻第2 号 ,59 - 69 頁